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カウンセリング/長野/諏訪 この11年を過ごして

まず、この20年の間に、当談話室に訪ねてきてくださった来談者の方々、また、訪問させていただいたり、電話で応対させていただいたりした来談者の方々、お一人お一人に対しまして、私のような心理カウンセラーを信頼し、心の真実を素直にまた正直に語ってくださり、共に自己再生の道を歩んでくださったことを、心より感謝申し上げますとともに、深く敬意を表させていただきます。

今、この20年を振り返らせていただき、改めてホームページに記した内容を読み返させていただきますと、この20年に及ぶ心理カウンセラーとしての実践の蓄積は、まさしく、ここに記された内容の実証に他ならなかったのではないかと、新鮮な心持ちで気付かせていただきました。

発足当初は、正直、多種多様な来談者さんお一人お一人の心情に寄り添い切れるかどうか、大変不安でした。しかし、「石の上にも三年」の古き良き諺通り、三年を経る頃には、自宅のカウンセリング・ルームにおいても、公立の高校カウンセリングにおいても、(私立さくら国際高校の高校カウンセリングにおいても、総合教育センターの夜間電話相談においても)それまでの失敗も含めた経験の積み重ねによって、自信が持てるようになって来たように思います。

しかし、自信が持てるようになってきたといっても、格好いい話だけではありません。自分の自信過剰や調子に乗り過ぎのような姿勢によって、いくら寂しくとも、時には「着く縁あれば、離れる縁もあり」という出会いと別れがあることも深く体験させられました。このことも含め、その時々の「自分の個性や力量による限界」(研鑽の中でより広がっていくものであるのですが)を素直に受け入れ、深入りや深追いをしない方がよいということも、幾つかの経験から学んで参りました。このように、私自身、格好の悪い部分も含めて丸ごとの自分を受け容れるというというプロセスも含め、「自信が持てるようになってきた」のだと思います。

それでは、ここで、これまでの良い方の「成果」について振り返り、お伝えしたく思います。

うつ病克服へのプロセス

当談話室では、うつ病の方の心情の受け止めと、相互理解、そしてそれらを基にした自己受容や自尊心の回復への支援によって果たすことができる「自己再生」への歩み・・・というプロセスに、大切に寄り添わせていただくことにより、各ケースにおいてその期間の長短はありますが、着実に来談者お一人お一人の「自己再生」を達成してまいりました。この様にうつ病の方の治癒に寄り添うことは、当談話室において、より強く信頼していただける分野となってきています。相互理解の折には、ユング深層心理学の心のイメージによる図がとても効果的に役立ち、自己肯定感や自尊心の回復に効果を示してくれています。

初期統合失調症の方や、寛解期の統合失調症の方への寄り添い

この点は、心理カウンセラーとしてより慎重さが必要になります。統合失調症の方の場合、慢性化への悪化に至る急性期に、肯定的に受容するカウンセリングを施すと、来談者さんの感情の偏りや衝動性を強め、統合失調状態を悪化させてしまう場合があります。ですから、当談話室では、そのような状態の来談者さんに関しては、積極的に精神科や心療内科など病院での治療を勧めさせてもらっています。そして、服薬などきちんと医療と結びついておられる統合失調症の方の中で、悪化の心配が少ない初期統合失調症の方やほぼ確実な回復期(寛解期)に向かっておられる方については、"より現実的な今や未来"を見つめる方向でカウンセリングをさていただき、うつ病の方と同様、自己肯定感や自尊心の回復に寄り添わせて頂き、自信を回復していただいております。

境界例の方への寄り添い

境界例の方へのカウンセリングの場合、始まり当初はある意味困難を伴います。「心のバイオリズム」(心の好・不調の波)において、好調期に伴う片足の拠り所は、健常で善良な社会人としての自分です。そして、不調期に伴うもう片方の足の拠り所は、不健康で小悪魔的な心情に苛まれる自分です。この時、好調期の自分は無意識の方へと追いやられ、"堪忍袋"の中に溜め込んだネガティブな感情に支配されます。その為、カウンセリングの場で、目の前の来談者さんに対して、片方の穏やかに理知的に語っている姿がその方だと思い込んでしまうと、大きな誤りが生じます。ご家族や夫婦間などより個人的かつより自己中心的になれるような場では、不調期であれば尚さら、逆に 、子ども帰り・赤ちゃん帰りをしたかのように癇癪的な葛藤を起こし、周囲を全て悪者にしてしまうような感情の渦に溺れてしまいます。このように、境界例の方のケースでは、信頼してもらえていたかと思うと突然極度に不信感をぶつけられるようなことも有りがちなのです。そこで、心理カウンセラーには、このような時であっても、来談者さんのその両方を丸ごと粘り強く受容し、信頼し続けるという冷静さと寛容性が求められるのです。 また、このような時に極度に悪者にされがちな、ご本人の母親や父親、夫や妻を、そうした時の苦悩や葛藤も含めて肯定的にサポートし続けることができるかどうか、それらも、解決に向けての大切な鍵になります。当談話室でも、このような事例に、何度となく遭遇する中で、寄り添うことの自覚と自信を強めて参りました。

摂食障害(拒食症、過食症など)への支援

このようなケースにも、幾つか関わって参りました。やはり、女性の生徒さんや青年の方が多く、心の中に潔癖なまでの理想や目標を持っている傾向が強い方がその大半でした。しかし、彼女らがそうならざるを得なかった背景として、情けない自分や至らない自分も人間として認めて好いんだと自分自身を大らかに受け止めることが不器用であったり、女性的(母性的)かつ受容的な自分を封印し、周囲からの価値観の押し付けや自らの思い込みなどによって、頑なな理想や目標を持ち、それに向けて過度な努力を自分自身に強いてしまうような心情が固定化してしまっていたりするような場合が多いように思いました。そこで、そのような殻に閉じこもっている心情は大切な真実として肯定しつつ、子育てや教育の中で強められた思い込みの枠を柔軟にしていけるように寄り添うことにしました。それにつれて、ご本人の、自分の情けない部分やいい加減な部分も含め大らかに自己肯定して好いんだという心情が耕され、回復に至ったケースが数件ありました。この際にも、ご両親(特に母親)の苦悩や葛藤にも受容的に寄り添わせていただきながら、両親ご自身の母性性や受容性を耕したり促がしたりしながら、家族全体として円満性を回復していけるように心掛けています。

不登校など、集団不適応の方への支援

長野県のスクール・カウンセリング事業における高校カウンセラーとして、実践に携わらせていただいているので、この点も専門分野です。公立高校やさくら国際高等学校内だけでなく、自宅のカウンセリングルームにも、同様な相談が繰り返し持ち込まれます。高校のカウンセリングにおいては、どうしても欠課時数に伴う単位認定の問題がつきつけられるのと、限られた配当時数の問題があり、思うだけ充分に支援させてもらうことができないまま、不本意な形で転校や転学、または退学の結果に導かれるような場合もあります。しかし、中には学校側の理解を得、配当時数以外に時間やそれに伴う費用を確保していただき、思う存分に支援させていただき、期待通りに自信を回復し学校や社会に復帰していってくれた生徒たちも大勢いました。 また、自宅においては、学校組織という制約を気にすることなく、長いスパーンで生徒さんの個性や心情に寄り添い、より着実で確実な自己再生の道を共に歩ませてもらい、その成果に伴う多くの喜びの声をいただいております。

自尊感情が低く自己否定感が強い方の自尊心や自己肯定感の回復への支援


こうした支援は、これまで記してきた数々の心の問題に関わる支援の支柱とも、また、要とも言えます。このような問題で来談される方の多くが、「自分が嫌い」「自分が嫌で嫌でたまらない」「こんな自分がいるから家族や友だちを苦しめてしまうんだ」などと、「そこまで言うか?」と思われるほど自虐的に自己否定し、そうした自己イメージを頑なまでに持ち続けておられます。当談話室では、こうした否定的な自己イメージを柔軟にしていただくために、ユング深層心理学や仏教の森羅万象にまで至る絶対平等観の智恵に学びながら、逆転満塁ホームラン的に、「自分の格好いい部分だけでなく数限りなくある格好の悪い部分までも含んで、丸ごと自己肯定して好いんだし、そのあるがままに自尊心を抱き確立していって好いんだ」という絶対平等的な自己イメージへと改変し、それを定着していけるよう寄り添わせていただきます。

夫婦カウンセリング

現代においては、夫婦の語らいや交流が余りにも少なくなってしまったがゆえに、互いが相手に対する決め付けや思い込みを強め、勝手に批判し合って(責め合って)しまう状態に陥り、離婚を焦ってしまうようなケースが余りにも多いように思います。そこで、当談話室では、まず、心理カウンセラーを介することによって、相手がカウンセラーに語りかけるその内容を冷静かつ客観的に受け止め直すことができるような場を提供します。そして、そのことによって、頑なに持ち合っていた誤解を解き合い、相互理解を深め、互いの違いは違いとして認め合いながらご夫妻が同時に自己再生を果たしていく中で、ご家族もより幸福な方向へと再生していかれたケースが、何ケースもありました。しかし、こうしたカウンセリングには、辛い結末が待っていることもあります。カウンセリングに通いながら自己確認をしていく中で、反って現在の結婚生活に無理があることを再認識し、離婚を決断されるようなケース、子どもを授かりながら、妻の妊娠期間中に、互いに素直に甘え合うことができずに、逆に強がりや反抗心を強めてしまい深く心を傷つけ合ってしまい、復縁が困難になってしまったようなケースなどが、それです。 当談話室では、結果がどのように終わろうとも、そのプロセスの過程で、自己認識を深めることができ、このプロセスにおいて少なからぬ自己再生を果たすことができるよう、最大限寄り添わせて頂いています。 いずれにしても、より溝が浅い内に当談話室に来談していただいた方が、より幸せな結果に導かれるように思います。

親子(家族)カウンセリング

当談話室では、個人、親子、夫婦、家族にかかわりなく、費用は時間に応じてのみ支払っていただいております。そのため、気軽に親子やご家族が一緒にカウンセリングを受けることができるのも、とても好い傾向であると自負しております。実際、先ほどの夫婦カウンセリングでもそうなのですが、親子やご家族一人ひとりが、相手(他の者)の、カウンセラーである私に冷静に思いを語ってくださる姿を客観的に観察し、内容を受け止めることができることによって、共感的な関係や信頼が深まり、当人の心理的葛藤が軽減し易くなるような例は、数え切れません。また、親子や家族の場合には、男女の問題である夫婦とは違って、他人になり切ることができず、「愛憎裏表」の言葉が示す通り、表には憎しみを表していても、逆に心の底に「愛されたい」「認められたい」という想念が渦巻いていることも真実なのです。そのような場合は、憎しみだけでなく、このように「愛されたい」という素直な思いも掘り起こしつつ、それらを自覚したり確認したりすることができるように寄り添い導くことによって、関係が改善されていきます。

自殺念慮への理解と自殺の未然防止

当談話室においても、発足間もないころからこうしたケースに何度となく遭遇して参りました。「もう死んでしまいたい」などと苦悩しその思いを言葉に発したり、実際に未遂的な行動に移したりするようなケースにも、何度となく寄り添わせていただきました。このような場合、「もっと命を大切にしなさい」とか「あなたがそのようなことをしたら、ご両親やご家族がどう思うか考えなさい」などと、さらに孤独に追い詰めるような常識的かつ高圧的な言葉は、けっして返してはならないということを徹底しています。それよりも、そのように思わざるをえないような苦悩の淵に溺れているその気持ちに寄り添い、「そんな事情がある中で、『死んでしまいたい』としか思えないような苦しさがあるんですよね。お辛いですね。」と、深く共感的に受け止めさせていただいています。そして、「誰だって、孤独の殻の中に追い詰められれば、この世をリセットして『死んでしまいたい』と思いたくなることがあるし、それも自然な心の営みなんだと思うよ。」という思いを伝え、孤独感から一日でも早く抜け出せるように支援させてもらいました。その結果、自殺を思い留めて自信を回復してくださった来談者さんも、多く居られます。

より確かでより豊かな宗教や信仰生活についての語り合い

この点は、私たちのように、命に限りある人間にとって、実は、大変重要なことであると思います。しかし、現代日本においては、日頃から、または経済的・政治的な意図によって、このようなことを語り合うことがとてもタブー視されています。仏教的な「少欲知足(欲を少なくして足るを知る)」などの意味深い言葉や、絶対平等的な価値観に基づく智恵などは、私たちが平和な世の中を実現するために、今すぐにでも有効で、かつ行動に起こし易い叡智です。にもかかわらず、現代社会の行政は、消費生活的に経済効率を上げるために、それらを「無用の長物」扱いにしています。しかしながら、どのような時代や政治情勢にあろうとも、「私たち国民一人ひとりが、限りある生命を疎かにせず無理なく自然に自分らしく生きる」ということは、最大限かつ最優先に大事にされなければなりません。そのために、私たちには充分な質の良い睡眠が保証されるべきだし、ゆっくり自分を癒す休養も大切になってくるのです。その上で、じっくりと自分に向き合い、己の為すべきこと己が取り組みたいことに歩みを進め、家族を持ったならばその一人ひとりに心が配れるよう充分な時間を持つことも、とても大切なはずです。そして逆に、そのような個人的な生活をより充実させるために必要な労働時間は、人生の4分の1から3分の1程度の部分的に留めて生活をするということも大事になってくると思います。ところが、現代の日本においては、全く逆なメカニズムが成立し過ぎ、「人間が無理をするのが当たり前、欲望に奔走するのが当たり前」というように、そのような場所や時間に莫大なお金が費やされることが余りにも当然化し過ぎています。本来、宗教というものは、限りある生命を持った人間が、如何に無理なくより自然に幸福な人生を歩むことができるか、そうした深淵なる叡智に充たされているのです。  当談話室では、どのような宗教的話題についても、タブー視しません。私自身は、仏教(その中の浄土真宗)の信者です。だからと言って、決して、浄土真宗だけが素晴らしいのだという風に思って、それを来談者さんに押し付けるようなことは決して致しません。これまでも、キリスト教や仏教の幾つかの宗派の方、それにS学会のような新興宗教の方などに、真剣に信仰に関わる悩みなど吐露していただき、共に「真の信仰生活とはどのようなものなのだろうか?」という話題について、深く問い合い語り合ってきました。そのような場合でも、私は、それぞれの信仰の持たれ方を尊重し、教えていただくという姿勢で、共に語り合います。そのようにしていく中で、信仰生活において表面的に異なる点と、深い部分における共通点を確認しつつ、互いの信仰生活が実際に深まっていくことを実感していますし、そうしたことが、ユング深層心理学でいうところの「自己再生」に大きく役立っていくことも、実際、幾度となく体験しています。


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